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患者さんの声6:アクロメガリー広報センター:ノバルティスファーマ

同じ病気の患者さんを知り、勇気が湧きました。

小比類巻 としこさん 54歳

小比類巻 としこさん 54歳※年齢はインタビュー当時のものです

治療歴
28歳のころ、視野狭窄がきっかけでアクロメガリーと診断され、経蝶形骨洞的下垂体腫瘍摘出術を受ける。
しかし再発を繰り返し、29歳、30歳、34歳の3回にわたり再手術。
計4回の手術(経蝶形骨洞的下垂体腫瘍摘出術と開頭手術を交互に2回)を経験したものの腫瘍は残る。最後の手術の2年後、薬物治療を開始。GHはコントロール良好だったが、経済的理由などから治療を中断。
故郷に戻り、夢であったオカリナ奏者としての活動を開始。この頃から、症状が良くなりはじめる。

診断のきっかけは視力検査から。

アクロメガリーだと診断されたのは1983年、28歳のとき。メガネを作るための視力検査で視野狭窄が認められ、検査技師の方から、下垂体の腫瘍を疑われたのが発見のきっかけです。病院で血液検査と画像診断を受けたところ、GHは基準範囲より高く、下垂体に腫瘍も見つかりました。その頃、確かに目が悪くなっていて段差に気づかず転ぶことがよくありました。また、出産から8年も経っているのに急に乳汁が出たり、実家に帰るたびに母からは「顔が変わった、鼻を美容整形したの?」と聞かれたりと、アクロメガリーの症状はいろいろな形で出ていたようですが、まさか脳に腫瘍があるとは思いもしませんでした。

4回の手術で募る医師への不信。経済的な理由で治療を断念。

近隣の公立総合病院ですぐに手術を受け、「腫瘍は全部摘出できた」と言われました。ところが1年後にはまた視野が狭くなり、腫瘍が再発したということで再手術。今度も「腫瘍は全部摘出できた」と言われましたが、また再発。そんなことの繰り返しで6年間に計4回の手術を受けました。

4度目の手術の後も結局腫瘍は残ってしまい、さらには開頭手術の傷が原因でてんかんも起こるようになり、群発頭痛の激痛にも悩まされ続けました。最後の手術の2年後に、GHの分泌を抑える注射薬が日本でも認可されたので試しました。

薬によってGHのコントロールは良好になりましたが、その頃はアクロメガリーがまだ医療費助成制度の対象ではなかったため、月々の治療費は高く、アルバイトで何とか母子家庭の生計を立てていた私に払える額ではありませんでした。

当時の主治医は親身になってくれる先生で、そのアドバイスに従い、生活保護を受けて治療をすることにしました。でも結局、いろいろな持病の医療費がかかり、生活保護を受けていても金銭的に厳しく…。アクロメガリーの薬物治療は2年間で中断してしまいました。

オカリナとの出会い、山中さんの本との出会いで自分自身が変わった。

たびたび起こるてんかんや群発頭痛の苦しさと生活の苦しさで生きていく自信をなくしていた40歳のある日、車の前に飛び出してしまったことがありました。そのとき倒れたのがたまたま楽器屋の前で、ショーウィンドウに飾ってあったオカリナが目に飛び込んできました。これがオカリナと出会い、オカリナ奏者になる夢ができた瞬間でした。44歳のとき、生活保護を受ける都会の暮らしに見切りをつけ、故郷の青森に帰り、オカリナ奏者としての活動をはじめました。すると、いつしか群発頭痛も収まり、視野狭窄もよくなっていきました。今では、てんかんの発作の回数も減り、顔つきも少しずつ元に戻ってきているように感じています。環境の良い故郷で暮らしているからなのか、オカリナを吹くときの腹式呼吸が免疫力を高めているからなのか、音色に癒されストレスが軽減するからなのか、あるいは自己否定ばかりせず素直に自分を受け入れることができるようになったからなのか、理由はわかりません。でも、いろいろな病状がおさまってかれこれ10年になります。

これまで、同情されたくなくて病気のことはほとんど人には話しませんでした。でも山中登志子さんが自分はアクロメガリーだと告白した『外見オンチ闘病記』を読んで、自分も病気のことを語りたいと思うようになりました。今は、何かできることがあれば、アクロメガリーで苦しんでいる人の力になりたいと考えています。

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