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患者さんの声3:アクロメガリー広報センター:ノバルティスファーマ

病気から学びを得たとき、病気から解放される。

山中 登志子さん 44歳

山中 登志子さん 44歳 ※年齢はインタビュー当時のものです

治療歴
22歳のとき、健康診断での医師からの指摘により、アクロメガリーと診断され、手術を受ける。このときは完治したかに見えた。
アクロメガリーが再発し、32歳のときに再手術。術後も腫瘍の一部が残ってしまったため、薬による治療を開始するものの、GHはコントロール良好にならず。
37歳のときに、さらに2回の手術を受け、残っていた腫瘍の8~9割を摘出。コントロール良好に。

病気から逃げたかった20代。

大学時代、アクアビクス・ダイエットを始めるために健康診断を受けました。そこで尿検査に引っかかり近くの病院で再検査を受けると、医師がたまたま内分泌内科の専門で、私の顔を見てすぐにアクロメガリーだと気づいてくれました。

最初の手術では、執刀医から「腫瘍はきれいに取れた」と説明を受け、術後はGHの値も血糖値も下がっていきました。顔もスッとしたのです。完治したと思い込み、通院をやめてしまいました。

20代後半で生理が止まったときは、ホルモン注射で生理を戻してもらいました。
心のどこかで、「無月経はアクロメガリーのサイン」だとわかっていたにもかかわらず…。その2~3年後には糖尿病も出てきましたが、「再発したかも」という不安を受け入れられず病院には行きませんでした。その頃は「病気を忘れたい、病気から逃げたい」という気持ちが強かったと思います。本当は病気から逃げてはいけないんですけれどね。

そうこうするうちにホルモン注射で刺激しても生理が起こらなくなりました。婦人科医に病歴を問われたことがきっかけでようやく以前の病院を再受診し、再発だと告げられました。

あきらめなかった結果、4回の手術で体調良好に。

今度は腫瘍が血管に巻きついていたため、腫瘍を全部取りきることはできませんでした。術後はGHコントロールにGHの分泌を抑えるための注射と血糖値コントロールのためインスリン注射を毎日打つようになり、1日計7回の自己注射を打っていました。しかし治療の効果はあまり出ず、体がバラバラとしか言いようのない辛い状態になりました。主治医からはこれ以上の手術は無理だと言われていたこともあり、先が見えずに気鬱状態になり、もうどうにでもなってほしいと「死」を意識したときもありました。

でもそんなとき自分で主体的に主治医を選んでいなかったことに気づき、インターネットで情報を集めてみました。すると脳神経外科医の中にも下垂体を専門とする医師がいることがわかったのです。病院を替え、改めて専門の医師に手術をお願いし、2度の手術で残りの腫瘍の8~9割を取ることができました。それからは体調も良くなり、今は薬もまったく使っていません。納得のいく治療が受けられ、本当に良かったと思います。

編集家として、病気を啓発するため闘病記を出版。

体調が良くなると、顔が変わったことも含めて病気を語ってみてもいいかなと考えるようになり、2008年に闘病記『外見オンチ闘病記~顔が変わる病気「アクロメガリー」~』(かもがわ出版)を出版しました。これには2つの意味がありました。

一つ目は書くことで、自分がたどってきた道を振り返ることができたこと。もしも病気にならず、順風満帆だった10代の延長でその後の人生を過ごしていたら、さぞや高慢な嫌な人間になっていただろう、ということにも気づきました。書くという行為は、心の整理をする上で私には必要なことでした。

二つ目は、出版は世に送り出す行為ですから、メッセージが伝わった人からの反応があること。同じ病気の患者さんからお手紙をいただいたり、実際にお会いしたりして、「孤独から救われた」などといった感想をうかがうと、自分も元気になれるのです。

人は誰かに必要とされていると感じると、エネルギーが湧いてくるのでしょうか。最近いろいろな病気の患者さんを見て感じることがあります。あくまで私の仮説ですが、必死に病気に抗っているとき、病気を否定しているときは決して病気に勝てず、逆に病気によって学びを得たとき―たとえば家族のきずなの大切さに気づいたとき―、病気がその人から立ち去るような気がしています。だから病気になったときは、家族、仕事、人生などについて見つめ直す時間をもらえたのだ、ととらえてほしいですね。

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